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休日には,美術館巡りをしています。立ち寄った美術展などの備忘録です。
by oono164935
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エミリー・ウングワレー展(国立新美術館)

エミリー・ウングワレー展(国立新美術館)_b0131361_2359011.jpgたて3メートルを超える巨大なキャンバスに描かれた無数の細密な点,混沌の中から,なにか分からないが生命がプチプチと音をたてて生まれ出てきているかのようだ。この作品の題名『カーメ』というのは,ヤムイモの種のことだそうだ。

何の予備知識もなく,この展覧会の絵を見たら,西洋美術の現代抽象絵画作家の作品と思うだろう。エミリー・ウングワレー(1910頃-1996)について,展覧会のホームページには,

《オーストラリア中央の砂漠地帯で,アボリジニの伝統的な生活を送りながら,儀礼のためのボディ・ペインティングや砂絵を描いていたが,1977年からバティック(ろうけつ染め)の制作をはじめ,88年からはカンヴァス画を描きはじめる。その後亡くなるまでのわずか8年の間に3千点とも4千点ともいわれる作品を残した。90年以降はシドニー,メルボルン,ブリスベーンで個展を開催。没後も97年にヴェネツィア・ビエンナーレのオーストラリア代表に選ばれ,98年にはオーストラリア国内を巡回する大回顧展が開催された。》

と紹介されている。

ということは,80歳を超えた女性が,巨大でエネルギッシュな絵を,毎日1点以上を制作していたことになる。彼女は,有名になってからもふるさとのブッシュ地帯の集落を離れることなかった。文字の読み書きもできず,美術に関する情報とも隔絶している。アトリエなども持たず,キャンバスを横に置き,地面に座り込んで,ふるさとの自然やアボリジニの伝統からインスピレーションを受けながら,毎日毎日描き続けたそうだ。
エミリー・ウングワレー展(国立新美術館)_b0131361_0273075.jpg
上の『ビッグ・ヤム・ドリーミング』という作品も,たて3メートル,よこ8メートルとこれまたでかい。網目状の白い線は,ヤムイモの根である。このような根の広がりや繋がりのイメージによって,生活を支えるヤムイモに宿る霊的な力,さらにはアボリジニの宇宙観や世界の始まりの物語,社会の規範などの総体(それを,ドリーミングと呼んでいる。)を描いている。いわば世界を俯瞰する大作である。この作品に限らず,どれも,無造作に描かれているようで,リズム感,躍動感があり,見ていて楽しい作品ばかりだ。

未開の部族で作られた装身具や儀礼のための人形など,「プリミティブアート」と言われている。エミリー・ウングワレーの作品が「プリミティブアート」かというと,違うように思う。前述のとおり,現代の抽象絵画に近い感じだ。部族社会の独自の世界観に根ざしながらも,アクリル絵具とキャンバスを手にしたことによって,「プリミティブアート」と異なる普遍性を持った新しい表現を獲得したように思える。そして,新しいイメージが次々にわき出してきた。それが,高い評価を受け,現代オーストラリアを代表する画家とまで言われるようになったのではないだろうか。

エミリー・ウングワレー展(国立新美術館)_b0131361_0393160.jpgここにアップしている4点の作品もそれぞれスタイルが異なる。テーマ(それは,ドリーミングだと思う。)は一貫していても,短い間に,作品のスタイルが次々に変化している。「プリミティブアート」にこのような変化はないと思われる。左の作品は,死の2週間前に描いたという最後の作品のひとつだ。なんと,このとき24点もの作品を3日で完成させている。

それにしても,晩年に突然脚光を浴びてからは,当然,注文も殺到し,画商も訪ねて来ただろう。これまで提供したことのない人々に作品を提供することになったのである。ふるさとの自然や暮らしが彼女の創作活動の源泉であり,ライフスタイルを変えず作品を制作し続けたとはいうものの,エミリー・ウングワレーとって,描くことの意味に変化がなかったのだろうか。高い評価をする美術界は,彼女の目にどのように映っていたのだろうか。アボリジニの苦難の歴史と重ね合わせ,ちょっと気になった。
エミリー・ウングワレー展(国立新美術館)_b0131361_0241453.jpg

by oono164935 | 2008-07-19 21:25
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